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これまでこれといってヒット作がなく闇の中をさ迷っていたジャッキー・チェンにもとうとう夜明けが訪れました。
それがこの作品です。
■『スネーキーモンキー 蛇拳』(1978年)(スネーキーモンキー じゃけん、原題:蛇形刁手、英語題:Snake In The Eagle’s Shadow)
香港での公開は1978年3月1日
日本での公開は1979年12月1日
のちに数々のヒット作を撮ったユエン・ウーピンの初監督作品がこの作品。
そして我らがジャッキーの主演作で最初のヒットとなった作品です。
日本では『酔拳』のほうが先に公開されていますが、本場の香港ではこちらが先の公開でした。
この作品で我々が知っているジャッキー・チェンの映画が誕生したと言ってよいでしょう。
最後のアクションも素晴らしいですが何より特訓シーンがとにかく素晴らしい!
1978年にロー・ウェイの個人プロダクションに所属していたジャッキー・チェンが、『龍拳』の製作後に新興のシーゾナル・フィルム社に2本契約でレンタル出向して製作された最初の作品です。
真面目で暗い「仇討ち物語」が多かった香港カンフー映画の定石を破ったストーリーを設定し、シリアス調の物語にジャッキーが持つコミカルで明るい個性を隠し味として使ったことで、彼の才能を本格的に引き出した最初の作品となりました。
若いジャッキーの切れ味鋭いアクションが楽しめます。

1978年香港映画興行収入が第8位と、ジャッキーはやっとヒット作に巡り合うことができました。
本作の後、姉妹編『ドランクモンキー 酔拳』がほぼ同一のスタッフ・キャストで製作され、更に大ヒットを記録します。
■『ドランクモンキー 酔拳』(1978年)(ドランクモンキー “Drunk monkey” すいけん、中国語: 醉拳; 拼音: Zuì Quán; 粤拼: Zeoi3 Kyun4,英: Drunken Master)
香港での公開は1978年10月5日
日本での公開は1979年7月21日
ジャッキーの映画が日本に紹介されたのはこの作品が最初です。
日本公開時のキャッチコピーは「むかしドラゴン、いまドランク! 酔えば酔うほど強くなる、世にも不思議な酔八拳」でした。
1978年香港興行収入は第2位。押しも押されもしない若きアクションスターの誕生でした。
この作品は先行の『スネーキーモンキー 蛇拳』の姉妹編という位置づけで、香港の広告媒体では「蛇形刁手(『スネーキーモンキー 蛇拳』の原題)第二集」となっていますが、内容は続編ではなく、完全に独立した単体の作品となっています。
基本的な構成は主人公の成長譚であり、加えてスポ根の要素にコメディが含まれている、その後のジャッキー・チェン映画そのもののイメージです。
『スネーキーモンキー 蛇拳』ではまだまだ顕著だったシリアスな内容を完全にコミカル調に砕き、往時の香港クンフー映画の十八番だった「仇討ち」から外れた、明るく楽しい活劇に仕上がっているのが特徴です。
もちろん特訓シーンも色々な趣向や工夫を加え観客が楽しめる映像になっています。
撮影当時、ジャッキーは所属していたローウェイプロとの作品を数本掛け持ちしながら、本作を作り上げることになりました。
撮影期間は「蛇拳」よりも短いそうです。
ちなみに、撮影時に、ジャッキーの顔が赤くなっているのはメイクではなく、撮影前に逆立ちし頭に血をのぼらせて撮っていたためでした。
撮影は『龍拳』と同時に行われていました。

■『拳精』(けんせい、原題:拳精、英題:Spiritual Kung-Fu)
香港での公開は1978年11月23日
日本での公開は1980年6月14日
ロー・ウェイのプロダクション時代のジャッキー主演作の1本。
当時ローの思惑でシリアス路線の作品を連発していたものの、持ち味のユーモアセンスを活かしたかったジャッキーは、若いスタッフらとコメディ調の活劇『カンニング・モンキー 天中拳』を製作。これに立腹したローは『天中拳』を酷評して一時撮影を中断させお蔵入りにした後、「本当のコメディの作り方を見せてやる」と豪語して製作したのが本作です。
隕石落下の衝撃によって拳法の教本から拳の妖精が出現し、しがない寺男に拳を叩き込み、折から寺で発生していた連続殺人事件に挑むという風変わりな物語ですが、もろもろな製作事情から不本意に製作された本作を、ジャッキーは「白塗りのオバケが出てきたり、僕がおしっこをひっかけたりなど、とにかく酷い映画」など本作を徹底的に酷評しており、未だに嫌っているようです。
結局、この作品とその次に撮られた『龍拳』は、香港で配給してくれる会社が見つからずお蔵入りとなりましたが、ジャッキーが『スネーキーモンキー 蛇拳』で成功した後になってからようやく公開されたとジャッキーは自伝に記しています。。
ロー・ウェイ氏とはなかなか面倒な関係にあったようですね。

■『クレージーモンキー 笑拳』(原題:笑拳怪招、英題:The Fearless Hyena)
香港での公開は1979年2月17日
日本での公開は1980年4月19日
ジャッキー・チェンが、マネージャーであり親友のウィリー・チェンと共同で設立した個人プロ「豊年影業」の第1回作品にして、ジャッキーの初監督作品。
日本では既に公開されていた『スネーキーモンキー 蛇拳』、『ドランクモンキー 酔拳』に次ぐ【モンキーシリーズ第3弾】の触れ込みで公開されたが、スタッフ、キャスト、内容ともに前2作とは関連のない、独立した作品です。
ジャッキーが監督になる経緯には、当時所属のロー・ウェイプロとの複雑な事情がありました。
当時、他社で『蛇拳』『酔拳』に出演、自分の持ち味を活かした左記コミカルカンフー作品で成功したジャッキーは、ロー・ウェイプロに戻り次回作品を製作していましたが、これでは自分は活かせないと、その製作中だった作品を中断。
自ら主導して作品を作るべく、名義上、製作プロを設立した上で自ら監督を兼任、中断した作品に出演していた役者陣(都合により男優のみ)を起用して本作を製作しました。
本編で使われるのは人間の感情「喜怒哀楽」を使ったものなのですが、これは架空の拳法ではなく、実際にある拳法です。
笑ながら相手を殴る・蹴るという一見きち〇いじみたアクションですが内容は以前にも増してテンションが高くなっております。

■『龍拳』(りゅうけん 原題:龍拳、英題:Dragon Fist)
香港での公開は1979年4月21日
日本での公開は1982年2月20日
ジャッキー・チェンがロー・ウェイの個人プロダクション時代に製作した作品の1本で、武侠映画の要素も加えたシリアスな展開の主演作です。
師匠のかたき討ちに燃えて、ようやくたどり着いた仇敵が、深い改心をもって善人になっていたことから始まる、新たな悲劇を描いた異色の物語。
単純な勧善懲悪のストーリーではなく、かたき討ちを断念した主人公の葛藤に焦点が当てられています。
ジャッキー映画の定番である修行シーンはなく、題名である『龍拳』の特性もほとんど描かれていないのが特徴です。
本作品の撮影は『ドランクモンキー 酔拳』と同時に行われていました。
本作品と、その前に撮られた『拳精』は、香港で配給会社が見つからずに長いあいだお蔵入りとなっており、ジャッキーが『スネーキーモンキー 蛇拳』で成功したあと公開されたといういわくがあります。
75分版と90分版が存在し、日本で劇場公開されたものは90分版です。

折り合いが悪かったロー・ウェイのプロダクションからゴールデン・ハーベスト社に強行移籍したジャッキー・チェンが、同社で監督・主演した第1回作品が次の一本です。
ジャッキー・チェンは死力を尽くしてその映画を仕上げました。
■『ヤング・マスター/師弟出馬』(原題:師弟出馬/英題:The Young Master)
香港カンフー映画の定番である「仇討ち物語」ではないオリジナルの物語に、素手の対決はもとより扇子やスカート、ロープなどさまざまなアイテムを効果的に使った、趣向を凝らしたアクションを取り入れた明るい作品であり、香港において興行収入1128万2026香港ドルという当時の史上最高額を記録しました。
仇役には70年代に香港カンフー映画でも活躍したハプキドー(韓国合気道)の達人ウォン・インシクを迎え、20分近いジャッキーとウォンの対決はジャッキー作品のクンフー対決の中でも屈指の出来になっています。
競演に当時若手売り出し中だったウェイ・ペイ、ユン・ピョウを迎え、さらにはティエン・ファンやシー・キェンなどの香港映画界の重鎮を添えるなど競演陣も華やかです。
ジャッキーは作品の完成度に非常にこだわり、撮影に費やしたフィルムはかなりのもので、初期完成版もジャッキー自身が編集の監督を行いましたが、それは3時間に迫ろうという長尺であり、配給会社の指示で最終的に1時間40分に短縮されています。
しかし、よく切れたものですね。
使用されたフィルムは通常の9倍、製作費は通常の5倍だと言われており、撮影時のジャッキーの睡眠時間は約2時間だったそうです。
ジャッキーがいかにこの映画にかけていたのかわかるエピソードです。
後のカンフー映画によく登場する獅子舞合戦ですが、じつは映画に登場するのは実に30年ぶりで、ジャッキーはウェイ・ペイとともに3ヶ月に及ぶ特訓を受けたそうです。

今回はここまで。
次回はジャッキー・チェンがハリウッドへ進出です。


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