荒野の用心棒(伊: Per un pugno di dollari、英: A Fistful of Dollars)は1964年にイタリアで制作及び公開されたマカロニ・ウェスタン。
主演のクリント・イーストウッドが世界的スターになったきっかけの西部劇であり、マカロニウエスタンが世界に認められるきっかけとなった作品でもある。

この映画の後にイーストウッド主演による『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン』の2作が制作され、本作の『荒野の用心棒』と合わせて「ドル箱三部作」と呼ばれる。
■そもそもはパクリから始まった
本作の監督セルジオ・レオーネが、イタリアで公開された黒澤明の日本の時代劇『用心棒』を見て感銘を受け、西部劇に作り変えようとしたのがこの映画。
ストーリーは元ネタの『用心棒』が面白いので、こちらも当然面白い。
ただし、レオーネを始めとする製作陣は公開にあたり、黒澤明の許可を得ていなかったため揉めに揉めた。
当たり前ですよね。
東宝はレオーネ等を著作権侵害だとして告訴。その結果、勝訴している。
この裁判の結果を受けて『荒野の用心棒』の製作会社は黒澤たちに謝罪し、日本、台湾、韓国などのアジアにおける配給権と10万ドルの賠償金と、全世界における配給収入の15%を支払うことになったそうです。
また、この裁判の過程で映画の著作者が受け取る世界の標準額を知った黒澤は東宝に不信感を抱き、契約解除、ハリウッド進出を決意させる要因にもなりました。
さて、レオーネは当初、ヘンリー・フォンダの起用を望んでいたが、フォンダはハリウッド・スターだったため獲得できなかった。
その次にチャールズ・ブロンソンなど名だたるハリウッドスター等にも打診するがすべて断られました。
そこで代わりに白羽の矢を立てたのが当時テレビ西部劇『ローハイド』でブレイク中だったクリント・イーストウッドでした。
撮影はスペインのアルメリア地方で行われた。
また、この作品にはアメリカ、ドイツ、イタリアなど様々な国の俳優が出演しています。
そのため撮影時にはそれぞれの母国語で喋り、イタリア公開時にはイタリア語、アメリカ公開時には英語に、台詞が吹き替えられました。
■1960年代初期からイタリアでは西部劇が作られていたが、そのイタリア製の西部劇、いわゆるマカロニ・ウェスタンが世界的に知られるようになったのは『荒野の用心棒』のアメリカにおける大ヒットからです。
その暴力的なシーンを多用した乾いた作風や激しいガン・ファイトが、当時の西部劇の価値観を大きく変えたと言われています。
1960年代中盤から1970年代にかけてイタリアでは大量のマカロニ・ウェスタンが量産されるようになったが、現在でもマカロニ・ウェスタンの代表作として本作品を挙げる人は多い。


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